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愚陀佛庵

 萬翠荘裏手にあり、松山市出身の俳人・正岡子規が約50日間居候したという夏目漱石の下宿先、愚陀佛庵が復元されている。

     (本文:四国観光検定公式テキストブックから引用しました。)
愚陀佛庵について
愚陀佛は主人の名也冬籠          漱石
桔梗活けて志ばらく假の書斎哉       子規
 明治28年4月9日、松山中学校英語教師として松山に赴任した夏目漱石は、まず三番町の城戸屋旅館に旅装を解いたがのち城山の麓の下宿愛松亭に落ち着いた。

しかし、6月には2番町の上野屋
(上野義方宅)の離れに居を移し、その下宿に自らの号「愚陀佛」をとって愚陀佛庵と名づけた。

 一方、漱石の一高時代の同級生でもあった正岡子規は、明治28年3月、日本新聞記者として日清戦争に従軍、5月帰国の途次喀血、須磨で療養、小康を得た身を故郷松山の地で休めることとなり8月25日帰省、8月27日には漱石のすすめでこの愚陀佛庵に身を寄せた。
子規は階下、漱石は2階と10月19日子規が三津浜港を発って帰郷するまでの50余日間を、1つ屋根の下で暮らした。

 このわずか50日余日の共同生活の間に、子規は療養のかたわら、集まってくる俳句結社松風会の門下生たちを指導したり、俳論「俳諧大要」をまとめたりした。漱石もまた句会に参加して句作に励んだ。

愚陀佛庵はその後幾人かの人が住んだが、昭和20年7月に戦災で焼失した。その後関係者はじめ多くの人々からこの再建を望む声が高まり、このたび原形に忠実に設計し、往時を偲ぶ姿に復元したものである。     昭和57年9月

 

 

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